訃報
 
     
 

 今年も早いものでもう半年が過ぎました。

 1月〜3月は、「マクベス」の各地への巡演、5月は、余華原作の「血を売る男」のパラータ公演と相変わらず休む間もない時間を過ごしました。その間残念なことに大切な仲間、演出部・鵜飼守さん、演技部・腰越夏水さんを失いました。長い間苦楽を共にしてきたぶん、寂しさはひとしおです。

 ここに心からお疲れ様、ありがとうの意を表したいと思います。

 
 

2021年6月24日 劇団東演

 
 

鵜飼守『月光の夏』現場にて

鵜飼守(演出部)

 
 

 2021年1月7日、進行すい臓癌のため逝去。75才

 北海道出身。日大芸術学部卒業後、舞台照明家を志し、1968年(株)ステージライティングスタッフ入社。

 1981年 劇団東演公演『歌え!深き悲しみの淵より』(作/R・アンダーソン 訳・演出/木村光一)で照明プランナーとして出逢い、翌年、東演演出部に入団。その後数多くのプランで公演を支えてきました。

 ベリャコーヴィッチ演出の『マクベス』(2019年初演)が最後の仕事となりました。『マクベス』は今年も鵜飼さんのプランのもと各地巡演、12月には東京での上演があり、最後までスタッフとして一緒に過ごすこととなります。

(写真は2017年10月『朗読劇 月光の夏』の現場にて)


 
 

腰越夏水『検察官』の舞台写真

腰越夏水(演技部)

 
 

 2021年6月5日未明、多臓器不全のため逝去。75才

 1968年劇団東演入団。個性的な女優として劇団一筋に活動してきました。

 特に、1993年にロシアのV・ベリャコーヴィッチ演出『ロミオとジュリエット』で乳母役に抜擢され、その後、氏の演出作品には欠かせない存在感で『ロミオとジュリエット』、『モリエール』、『どん底』、『三文オペラ』をはじめ、『検察官』まで全ての作品に出演してきました。

 最後の舞台は2020年11月『霞晴れたら』(作・演出/ふたくちつよし)でした。

最近の主な舞台

1999年〜2012年「どん底」ワシリーサ、その後はナースチャ
2011年〜 「ハムレット」 旅の一座の頭
2014年 「兄弟」 スーマー
2015年〜 「検察官」 市長夫人
2015年 「明治の柩」 治平の母ヨネ
2016年 「琉球の風」 新垣美佐子
2017年 「その人を知らず」 片倉リク
2018年 「臨時病室」 劉大香
2020年 「霞晴れたら」増田文子

(写真は2015年2月『検察官』市長夫人)

 
 

 

 
 

 追悼

 
 

  大変悲しいことに、二人の大切な劇団員を相次いで亡くしました。年の初めに鵜飼守さん、そしてこの六月には腰越夏水さん、お二人とも劇団にはなくてはならない大事な仲間でした。

 鵜飼さんの姿は、私にはいつも脚立の上にありました。「これが出来なくなったらお終いよ」と、脚立をトントンと駆け登って行く鵜飼さんの姿が今も目に浮びます。「芝居は照明の僕が一番沢山観ているんだからね」とおっしゃって、時には鋭いひと言も下さいました。「あのね、山田さん」と「あのね」の「の」の音がちょっと高くなるアクセント、北海道出身でした。でも寒いのは嫌いだと。
 私達の様な小さな劇団では、劇団付きの照明家がいるというのはほんとに贅沢な、有難い事でした。劇団のほとんどの公演の照明を引受けて、力を惜しまず尽して下さいました。長い間ほんとうに有難うございました。

 六十年を越える劇団では旧い仲間が次々にいなくなり、腰越さんは私の一番長い付合いの女優さんでした。一番なつかしい思い出は『夜明けは静かだ……』の稽古です。その頃劇団にはまだピアノが無かったので、何曲もある挿入歌は私の家で稽古しました。ロシアの女兵士の話でしたので、戦争体験のある先輩が匍匐前進や銃の扱いを指導し、また伝手があって自衛隊で実弾を撃たせてもらったりもしました。軍服も自分たちで縫ったりして、五人の女兵士は二ヶ月間ほとんど一体となって行動しました。三ツ編みお下げの腰越さんの軍服姿は今でもよく憶えています。
 五人の中で一番若かった彼女にもこの経験は大きかったのでしょう。この芝居のオリジナルを観たいということで、シベリア鉄道経由でモスクワにも行きました。シベリア鉄道での1週間は実にゆったりした楽しい時間でした。乗り合せたロシア人の子供達とトランプだのいろいろのゲームをしたり、大人達とはお茶を飲みながらお互いの国との物価比べなどして――。
 腰越さんのロシアとの繋がりはこんな風に始まりました。その後ベリャコーヴィッチさんと出合って、あんなに深くロシアの演劇と付合う事になるとは――。ベリャコーヴィッチ演出の芝居には、最後の『マクベス』の他は全部出演しています。ベリャコーヴィッチさんにはほんとうに愛されたのですね。
 昨年の十一月、彼女は最後の舞台に立ちました。亡くなる六ヶ月前です。ほんとうに見事な人生の終り方です。
 なくなる二週間ほど前に彼女から長い電話がありました。「わたしもう駄目だよ」と云いながらも劇団のことを気遣っていました。

 鵜飼さん、腰越さん、どうぞこれからも高い所から劇団を見守っていて下さい。そして先にそちらに行かれたベリャコーヴィッチさん達と劇団を作って、そちらでも芝居を楽しんで下さい。

 長い間ほんとうに有難うございました。

 
 

 山田珠真子