八田元夫・下村正夫の演劇歴
下村正夫の演劇歴
八田元夫の演劇歴
- 1903年11月13日
- 東京に生まれる
- 1913年8月23日
- 東京に生まれる
- 1926年
-
東京大学文学部美学科卒業
5月
処女演出高田保作「公園の午后」(研劇協会)
9月
小山内薫に師事「劇と評論」同人として「新聞鳴動」を第一作として28年までに戯曲数篇を発表する。
- 1931年
- プロレタリア戯曲研究会同人
- 1932年~1935年
- 新築地劇団文芸部演出担当「真夏の夜の夢」(東京演劇集団)「検察官」「天佑丸」「タルチェフ」「妻恋行」外数演出
- 1936年
- 井上正夫演劇道場、中野実作「武器なき人々」演出
- 1937年
- 和田勝一作「陸を往く船」以下「どん底」「浮標」外数演出
- 1939年
- 新生新派演出担当
- 1940年3月
- 京都大学文学部哲学科(美学専攻)卒業
- 1940年
- 猿之助劇団演出担当
- 1944年
- 三好十郎「獅子」ほか数出演
- 1945年
- 演出研究所創立
- 1945年
- 劇団東京芸術劇場(久保栄、滝沢修、薄田研二等)の第一回公演「人形の家」(イプセン)の演出助手として、土方与志に師事、新劇界に第一歩を印する
- 1946年
- 村山和義と新協劇団再建「太陽のない街」「土」の演出担当
- 1948年4月
- 第一次劇団民衆芸術劇場の創立、(岡倉志朗、滝沢修、宇野重吉等)と同時に文芸部員となり、「巧と恋」(シラー)、「破戒」(島崎藤村)、「山脈」(木下順二)等の企画を担当。
- 1949年7月
- 第一次民芸解散と同時に離団、ぶどうの会(山本安英)、岡倉志朗、木下順二、等)の講師としてチェーホフ研究講座を持つ。
- 1952年4月
- 瓜生忠夫と共に、新演劇研究所を創立
- 1953年
- 「真空地帯」(野間宏原作、鈴木政男脚色)の演出により1953年度毎日新聞演劇賞を受賞
- 1953年
- 演出研究所第一回公演「歴程」演出
- 1953年~58年
- この間、同研究所にて演出せるもの「結末のない話」(チェーホフ原作、下村正夫脚色)「真空地帯」・「検察官」(ゴーゴリ作)・「サークル物語」(鈴木政男)「どん底」(ゴーリキイ)「Haben」(ユリウス・ハイ)
- 1954年
- オケシー作「ベッドタイムストーリー」演出
- 1955年
- 「土」演出
- 1956年
- 外遊、イタリア、フランス、チェコスロバキヤ、ルーマニア、ハンガリー、ソ連、蒙古、中国、北朝鮮
「火の柱」演出
- 1957年
- 「いとしい恋人たち」演出
- 1958年
- 新協劇団「破戒」演出
- 1959年
- 下村正夫と東京演劇ゼミナール創立
- 1959年1月
-
新演劇研究所解散後、演出家、八田元夫と、東京演劇ゼミナールを創立、現在に至る
同ゼミナールにて演出せるもの
「煙草の害について」(チェーホフ)
「家庭争議」(チェーホフ・脚色)
「謎の性格」 (チェーホフ・脚色)
「幸福な男」(チェーホフ・脚色)
「感謝する人」(チェーホフ・脚色)
「結婚披露宴」(チェーホフ)
「熊 」(チェーホフ)
「白鳥の歌」(チェーホフ)
この間も舞台芸術学院の講師でもある。
- 1960年
- 「チェーホフ」短篇の中から「長い舌」「コーラスガール」「外交家」演出
- 1961年
- 「雄年とお嬢さん」「アニュータ」演出
- 1962年
- 自作自演出「まだ今日のほうが!」「イワンマトベーイッチ」「記念祭」演出
著作
「新劇」岩波新書
「結末のない話」(チェーホフ原作・脚色)
「チェーホフヴォードビル集」 (チェーホフ初期の短篇より脚色せるもの張った元夫と共著)
「どこかの国に似た話」( 同上 )
「サークル演劇の進めかた」(岡倉志朗、八田元夫共著)
著作
「演出作業」
「新しい俳優の創造」
他