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訃報

はじめに

2022年晩秋、劇団のルーツとも言える『獅子の見た夢―戦禍に生きた演劇人たち』が、全国の演劇鑑賞団体へ向けての公演をスタートさせ、2023年も東演ならではの芝居創りを始めていこうと劇団員が動き出した矢先、長い間劇団代表として私たちをまとめ牽引し続けてくださった山田珠真子さんが黄泉の国へと旅立たれてしまいました。我々にとっても突然の訃報で、未だに消化できない出来事ですが、ここに日頃より東演を支えてくださっているみなさまへのご報告を申し上げます。そして山田さんへ心からのお疲れ様と感謝の意を表したいと思います。 2023年2月2日 劇団東演
山田珠真子
山田珠真子(やまだ すまこ)(演技部) 2023年1月28日、すい臓癌のため逝去。葬儀は近親者で行いました。84歳

1959年、「東京演劇ゼミナール(後に劇団東演)」(八田元夫、下村正夫)の第一期の研究生として入所。現在まで63年間劇団一筋で演劇活動を続けてきました。2002年から2021年まで20年間、劇団の代表として舞台に立ちながら劇団の運営、後進の指導に尽力。最後の舞台は2022年8月「朗読劇 月光の夏」(女A)でした。

主な舞台
1962年「まだ今日のほうが!」(田川すい)
1970年「その人を知らず」(静代)
1975年「夜明けは静かだ・・・」(ガーリャ)
1979年「楽園終着駅」(白石はる)
1981年「桜の園」(ワーリャ)
1985年「アンマー達のカチャーシー」(久志のアンマー)
1994年「妻よ母よ子供等よ!」(女)
1997年「月光の夏―挽歌」(吉岡公子)
1998年「長江―乗合い船」(方先生)
2005年「八月の鯨」(ティシア)
2010年「貧乏物語」(河上ひで)
2011年「つがいのエプロン」(生方笙子)
2018年「琉球の風」(新垣美佐子)
2018年「屋根裏の仏さま」(ミサト) ほか多数
(写真は1998年2月『長江―乗合い船』方先生)

追悼

 劇団の前代表・女優の山田珠真子さんが1月28日の朝、八田元夫、下村正夫両劇団創立者のもとに旅立ちました。劇団員にとっても思いもよらない急なことで、言葉が見つかりません。

 昨年の11月、「獅子の見た夢」公演の受付でお客様を笑顔で迎えていた姿からは、だれも想像ができませんでした。それほど大きな衝撃でした。実は昨年の秋、念のための検診を受けた際にすい臓がんと宣告されていたのです。ご本人はいたって元気で「治療するので誰にも言わないで」と私と新代表の豊泉君に言われました。ですからいつものように公演の受付に立ってお客様を迎え、終演後には古いお友達と喫茶店で談笑し、来年もよろしくネ、と言ったに違いありません。山田さんは60有余年、最後まで根っからの劇団人でした。情熱、思想哲学、ロマンはブレることはなく、2002年、元代表の近石真介さんが退団された後に、全員から劇団代表として特に推され、そして劇団をまとめ、決して断定的なものの言い方をせず、八田、下村両先生の薫陶よろしく、自ら育ってきた劇団での在り方に根差した姿勢を通して、20年間代表として貴重な仕事をされました。一方女優としては、何といっても「長江―乗合い船」(1998年初演・鈴木完一郎/演出)の元教師・方(ファン)先生役は、誰もが認めるとても素敵で、舞台で実に生き生きと、観ている我々も幸せにしてくれるオーラを放ちながら、方先生として輝き生きていましたね。今でも各地で語り草になっています。見事に俳優として華開いた瞬間でした。また旅行が大好きで、本当に世界中いろいろなところに出かけて行きました。その時に知り合った大勢の旅行仲間が山田さんの大切な観客となり、たとえ自分は出演していなくても案内を出し、お誘いして客席を賑やかにと心がけていたこと、これは亡くなるまで続けていました。若い人にも、自分を観てくれる人を一人でも多く作りなさい、それがあなたの財産になるから・・・・と。

 劇団は大きな転機を迎えています。今度はいま前面に出て舞台を創っている世代が、次の劇団創りを背負わなければなりません。きっと山田さんも期待していつまでも見守ってくれていることでしょう。

 お疲れ様でした、ちょっと休んでから、そちらへ先に行った劇団員の皆と、また楽しく芝居を創ってください。そうそう、皆さんによろしくお伝えくださいネ!

横川功